未分類
2012.06.30 (土)
子供のころ
城が好きなしぶ~い子供だったのですが(いまも好き
)
その端緒となったのは
荻原一青(おぎはらいっせい)さんという画家が描かれた
お城の絵にふれたときでした
各都道府県のお城を写真や絵とともに紹介した
城図鑑が手元にあったのですが、
図鑑のなかに荻原一青画伯作の城の絵がたくさん載っておりまして
その絵を一目みたとき、
お城ってむっちゃかっこええやん~
と子供ごころに火
がついたわけでございます
こちらが↓が画伯の絵なのですが(ビッグサイズですみません
)、

みての通り
城の復元鳥瞰図(江戸時代はこのような姿だったのでしょう)で、
天守閣や櫓(やぐら)や門や塀(へい)が
統一されたデザインで連なるさまは
お城の誇る構成の美の真骨頂

う、うつくしすぎる…
城マニアの感涙がとまりません…
←こちらは尼崎城
子供のころ荻原一青画伯のお城の絵を眺めつつ
感動にふるえていたわけですが、
画伯その人にはさして興味をおぼえず
江戸時代の人なのかなぁ
なんて勝手に想像しておりました。
.....で先日
みなもと太郎さんの『風雲児たち(まんが)』を読んでおりますと、
荻原一青画伯の鹿児島城の挿絵がページにでてきまして、
…そういや、子供のころ
画伯の絵にすっかりはまっていたなぁ....
と記憶がよみがえり、
…画伯はいったいどんな人なのだろう....
とネットで調べてみることにいたしました
検索いたしますと
Web版尼崎地域史事典『apedia』に画伯の紹介がでていたのですが、
これが驚愕の驚愕のすごい方だったので
ご紹介させてください…
明治41年のお生まれで、
亡くなったのは1975年と京男が2歳のとき。
尼崎第一尋常小学校(現明城小)を卒業されてから、
大阪市天下茶屋の蛭川芳雲画塾で学び、
友禅画家となられました。
その後、城址が荒れているのを嘆き、
全国の古城を訪ねて城郭画制作を開始。
ここからとんでもない苦難にあわれるのですが…
1945年6月の空襲で妻子・家財と城郭画・資料のすべてを焼失。
1950年のジェーン台風では生活のすべてを失い
日雇労働者となる。
それでもなお城郭画への熱意を失うことなく
以後、
昼は肉体労働、夜は城郭画の製作という
超ハードな生活を続けられたとのことです…
妻と子を失い、
生活のすべてを失い、
文字通り汗を流しながら
それでもなお城に人生をささげられるとは…
荻原一青画伯はなんとすさまじいお方でしょう…
いくどもの挫折を経ながら
ひとつのことに
ここまで執着して成し遂げるということに
こころから敬意をいだきます。。。
画伯の人生を知って
ちいさな石垣までていねいに描きこまれた
画伯の精密なお城の絵をあらためて拝見いたしますと、
城のもつ美しさとともに
画伯の執念を感じ取れるような気がいたしました。
ちなみに
画伯の命日は7月7日、
七夕の日とのこと。
まもなくです。
その日は
いまいちど
城図鑑の画伯の絵を鑑賞しながら、
ご冥福をお祈りしたいと考えています。

京都嵐山の日曜日のお天気(予報)は…
あめ
です
明日も、よい一日を~

↑ランキングに参加しています
ただいま 3位(ぐらい)
、
ランキングサイトへぽちっと行って、
順位のブログ名をも一度クリックして帰ってきていただけると、
とてもとてもうれしいです
いつも、ありがとうございます

「コアユ・ガレット」ホームページへ
城が好きなしぶ~い子供だったのですが(いまも好き

その端緒となったのは
荻原一青(おぎはらいっせい)さんという画家が描かれた
お城の絵にふれたときでした

各都道府県のお城を写真や絵とともに紹介した
城図鑑が手元にあったのですが、
図鑑のなかに荻原一青画伯作の城の絵がたくさん載っておりまして
その絵を一目みたとき、
お城ってむっちゃかっこええやん~

と子供ごころに火


こちらが↓が画伯の絵なのですが(ビッグサイズですみません


みての通り
城の復元鳥瞰図(江戸時代はこのような姿だったのでしょう)で、
天守閣や櫓(やぐら)や門や塀(へい)が
統一されたデザインで連なるさまは
お城の誇る構成の美の真骨頂


う、うつくしすぎる…
城マニアの感涙がとまりません…


子供のころ荻原一青画伯のお城の絵を眺めつつ
感動にふるえていたわけですが、
画伯その人にはさして興味をおぼえず
江戸時代の人なのかなぁ
なんて勝手に想像しておりました。
.....で先日
みなもと太郎さんの『風雲児たち(まんが)』を読んでおりますと、
荻原一青画伯の鹿児島城の挿絵がページにでてきまして、
…そういや、子供のころ
画伯の絵にすっかりはまっていたなぁ....
と記憶がよみがえり、
…画伯はいったいどんな人なのだろう....
とネットで調べてみることにいたしました

検索いたしますと
Web版尼崎地域史事典『apedia』に画伯の紹介がでていたのですが、
これが驚愕の驚愕のすごい方だったので

ご紹介させてください…
明治41年のお生まれで、
亡くなったのは1975年と京男が2歳のとき。
尼崎第一尋常小学校(現明城小)を卒業されてから、
大阪市天下茶屋の蛭川芳雲画塾で学び、
友禅画家となられました。
その後、城址が荒れているのを嘆き、
全国の古城を訪ねて城郭画制作を開始。
ここからとんでもない苦難にあわれるのですが…
1945年6月の空襲で妻子・家財と城郭画・資料のすべてを焼失。
1950年のジェーン台風では生活のすべてを失い
日雇労働者となる。
それでもなお城郭画への熱意を失うことなく
以後、
昼は肉体労働、夜は城郭画の製作という
超ハードな生活を続けられたとのことです…
妻と子を失い、
生活のすべてを失い、
文字通り汗を流しながら
それでもなお城に人生をささげられるとは…
荻原一青画伯はなんとすさまじいお方でしょう…
いくどもの挫折を経ながら
ひとつのことに
ここまで執着して成し遂げるということに
こころから敬意をいだきます。。。
画伯の人生を知って
ちいさな石垣までていねいに描きこまれた
画伯の精密なお城の絵をあらためて拝見いたしますと、
城のもつ美しさとともに
画伯の執念を感じ取れるような気がいたしました。
ちなみに
画伯の命日は7月7日、
七夕の日とのこと。
まもなくです。
その日は
いまいちど
城図鑑の画伯の絵を鑑賞しながら、
ご冥福をお祈りしたいと考えています。

京都嵐山の日曜日のお天気(予報)は…

です

明日も、よい一日を~



↑ランキングに参加しています

ただいま 3位(ぐらい)

ランキングサイトへぽちっと行って、
順位のブログ名をも一度クリックして帰ってきていただけると、
とてもとてもうれしいです

いつも、ありがとうございます


「コアユ・ガレット」ホームページへ