お城
2015.05.27 (水)
島根県の
松江城が
国宝に指定されることになりました

http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=552395006
とても
喜ばしいことですが
正直
驚きました。
国宝は4城ってのが
(姫路城・彦根城・犬山城・松本城)
生まれてこのかたの
当たり前になっていたので、、、
でも、
松江城の国宝指定は
ある意味「当然」だと思うのです
現存天守(江戸時代からある天守閣)の
築造年を古い順に並べてみると、、、
となっています。
松江城は
1600年代初頭の築造で
それより後年の築城である
松本城が国宝であることを考えると
資格は十分以上。
国宝の要件とは関係ないけど
縄張りもきれいに残っていますし。
国宝指定
遅かったぐらいですね、、、

松江城って
侍の裃姿のような無骨な外観で
かっこいいんだよなぁ
ひさびさ
生で見てみたい

松江城ホームページより画像お借りいたしました。
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松江城が
国宝に指定されることになりました


http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=552395006
とても
喜ばしいことですが
正直
驚きました。
国宝は4城ってのが
(姫路城・彦根城・犬山城・松本城)
生まれてこのかたの
当たり前になっていたので、、、
でも、
松江城の国宝指定は
ある意味「当然」だと思うのです

現存天守(江戸時代からある天守閣)の
築造年を古い順に並べてみると、、、
丸岡城 1600年ごろ?
姫路城 1601年
犬山城 1601年
彦根城 1606年
松江城 1607年
松本城 1615年
丸亀城 1660年
宇和島城 1666年
備中松山城 1681年
高知城 1747年
弘前城 1810年
松山城 1852年
[赤字は国宝天守]
となっています。
松江城は
1600年代初頭の築造で
それより後年の築城である
松本城が国宝であることを考えると
資格は十分以上。
国宝の要件とは関係ないけど
縄張りもきれいに残っていますし。
国宝指定
遅かったぐらいですね、、、

松江城って
侍の裃姿のような無骨な外観で
かっこいいんだよなぁ

ひさびさ
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お城
2014.10.10 (金)
[嵐山城に上ろう 続きです]
プチ難所を超えて
しばらく進むと
なんともいえないインパクト大のポスターが
嵐山城址到着を教えてくれます

放火少女
こわいな(笑)

嵐山城跡

こちらは本丸です。
(雑木林にしか見えませんが
)
山頂を
平たく開削して
本丸が作られています。
本丸には
写真のような山道があり
周囲をぐるりと回れるのですが、
歩数を数えると
だいたい100歩分ほどありました。

本丸の東側には
石垣らしきものが
のこっています。
この城は西暦1500年ぐらいに
築かれたようですが、
もしこれが当時の石垣だとすると
時代的に
けっこう貴重なものだと思うのですが…

本丸の南側には
本丸を囲むように
フラットな土地が広がっています。
二の丸でしょうか。
本丸の数倍の面積があるようです。

かなり
埋もれていますが、
これは堀切(尾根を切るように作られた空堀)だと思われます。
本丸の東側には
このような造作が
何箇所がみられましたが、
西側には
ほとんど
手を加えたあとがありませんでした。

本丸の東側には
堀切をはさんで
麓を眺められる
広場があります。
おそらく
城下の動きを見張るための
出丸があったのでしょう。
・・・・
[嵐山城跡遠景]
嵐山城は
京都市周辺の山城としては
大きめの規模のお城なのですが、
未整備の荒れ放題で
ツワモノどもが夢の跡状態になっています。
ちなみに
このお城は
最後
攻められて
落城しちゃってるんですよね、、、、
ここで
ワーワーと
戦
やってたんだよな。。。
足軽とか
むっちゃ
たいへんだったんだろうなぁ~
落城は涙々だよ、きっと。
…荒れ放題なのも
そのあたりのことが
逆にリアルに迫ってきて
味わい深いものではあります。


帰り道
ゆっくり歩いていますと
前からトコトコと歩いてくる人、いや猿が…

フレンドリーなお猿で、
足元をすりぬけたあと、
山道の向こうから
じっとこちらを眺めてました。
・・・・
ゴミを拾いながら下山して、
夕方に麓、着。
往復二時間ぐらいかな?
気軽に登れるので
また城跡を訪れたいと思っています
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プチ難所を超えて
しばらく進むと
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放火少女
こわいな(笑)

嵐山城跡

こちらは本丸です。
(雑木林にしか見えませんが

山頂を
平たく開削して
本丸が作られています。
本丸には
写真のような山道があり
周囲をぐるりと回れるのですが、
歩数を数えると
だいたい100歩分ほどありました。

本丸の東側には
石垣らしきものが
のこっています。
この城は西暦1500年ぐらいに
築かれたようですが、
もしこれが当時の石垣だとすると
時代的に
けっこう貴重なものだと思うのですが…

本丸の南側には
本丸を囲むように
フラットな土地が広がっています。
二の丸でしょうか。
本丸の数倍の面積があるようです。

かなり
埋もれていますが、
これは堀切(尾根を切るように作られた空堀)だと思われます。
本丸の東側には
このような造作が
何箇所がみられましたが、
西側には
ほとんど
手を加えたあとがありませんでした。

本丸の東側には
堀切をはさんで
麓を眺められる
広場があります。
おそらく
城下の動きを見張るための
出丸があったのでしょう。
・・・・

嵐山城は
京都市周辺の山城としては
大きめの規模のお城なのですが、
未整備の荒れ放題で
ツワモノどもが夢の跡状態になっています。
ちなみに
このお城は
最後
攻められて
落城しちゃってるんですよね、、、、

ここで
ワーワーと
戦
やってたんだよな。。。
足軽とか
むっちゃ
たいへんだったんだろうなぁ~
落城は涙々だよ、きっと。
…荒れ放題なのも
そのあたりのことが
逆にリアルに迫ってきて
味わい深いものではあります。


帰り道
ゆっくり歩いていますと
前からトコトコと歩いてくる人、いや猿が…


フレンドリーなお猿で、
足元をすりぬけたあと、
山道の向こうから
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・・・・
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お城
2014.10.08 (水)
先日は
時間があったので
嵐山(嵐山城跡)に
登ってみることに

ちなみに
嵐山城とは…
嵐山の山頂にある山城です。
築城したのは
戦国時代の武将、香西元長(こうざいもとなが)。
元長は
はっきり言って
いいはなし伝わっていませんね(笑)
賀茂社を焼き討ちしたり、
主君を暗殺したツワモノですから
最期は討ち死にしたらしいですが、
その後
地元の人々に城を落とされてますので、
かなり嫌われていたのでしょう(想像)
地図は唐ト越のときにつかったものを
流用しました、すみません

さて…その嵐山城ですが…
城跡に通じる登山道の入口は
阪急嵐山駅近くの住宅地のなかにあります。

西山の山々は
麓はだいたい竹林になっています。
爽やかな風が通る
竹やぶを
上って行きます

竹林を超えると
雑木林になります。
嵐山はあまり
大木巨木のたぐいはありません。
細いひょろりとした木が多いです。

中腹からは
嵐山の町が
一望できます
手前の橋が
渡月橋です。
左手の山中、
山肌がはげているところは
モンキーパークです。
猿が遊んでいる姿まで
はっきりと見えます。

山頂の手前のところで
岩がたちふさがります。
この登山道最大の
プチ難所です。
とはいえ
ロープが設置されており、
超えるのは
さほど難しくありません。
嵐山城があったころ
岩の上には
門や番所があったのかもしれません。
攻め手は
ここを超えるの
たいへんだったでしょうね、、、、
岩の上から山道を見下ろして
しばし
足軽気分にひたりました。
[つづく]
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嵐山(嵐山城跡)に
登ってみることに


ちなみに
嵐山城とは…
嵐山の山頂にある山城です。
築城したのは
戦国時代の武将、香西元長(こうざいもとなが)。
元長は
はっきり言って
いいはなし伝わっていませんね(笑)
賀茂社を焼き討ちしたり、
主君を暗殺したツワモノですから

最期は討ち死にしたらしいですが、
その後
地元の人々に城を落とされてますので、
かなり嫌われていたのでしょう(想像)
地図は唐ト越のときにつかったものを
流用しました、すみません

さて…その嵐山城ですが…
城跡に通じる登山道の入口は
阪急嵐山駅近くの住宅地のなかにあります。

西山の山々は
麓はだいたい竹林になっています。
爽やかな風が通る
竹やぶを
上って行きます


竹林を超えると
雑木林になります。
嵐山はあまり
大木巨木のたぐいはありません。
細いひょろりとした木が多いです。

中腹からは
嵐山の町が
一望できます

手前の橋が
渡月橋です。
左手の山中、
山肌がはげているところは
モンキーパークです。
猿が遊んでいる姿まで
はっきりと見えます。

山頂の手前のところで
岩がたちふさがります。
この登山道最大の
プチ難所です。
とはいえ
ロープが設置されており、
超えるのは
さほど難しくありません。
嵐山城があったころ
岩の上には
門や番所があったのかもしれません。
攻め手は
ここを超えるの
たいへんだったでしょうね、、、、
岩の上から山道を見下ろして
しばし
足軽気分にひたりました。
[つづく]

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お城
2014.10.03 (金)
日本のお城のスゴさって
いろいろあると思うのですが、
そのひとつは
やっぱり地形を作ってしまうところに
あると思います。
堀は川で、
石垣や土塁は山やがけ。
人工的に
自然物を作っちゃうので
規模も当然大きくなります。
ところが
明治時代以降は
そのでかさが
無用の長物となってしまい
観光資源となる
建物以外は
多くが取り壊されることとなりました。
堀なんかは
埋められて
道路や畑になり、
屋敷の並んでいた三ノ丸は
住宅地になったというような具合です。
時代の変化なので
残念ですが
仕方ないといえます。
でも
だからこそ
城好きの
自分なんかからしますと
今残っているお城の敷地が
当時(江戸時代)のままのサイズに
近いお城は
スゲェってことになります
例えば
世界遺産の姫路城の場合…
●姫路城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●姫路城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

今
城域を囲む
「総濠」が残っているのは、
ダイダイ色(赤色)のラインです。
ちなみに
江戸時代の
総濠ラインは
ムラサキ色(青色)のライン。
日本一美しいといわれる姫路城も
スケールダウンしちゃってるのがわかります
そこで…
唐突ながら…
総濠総延長距離の長いお城をピックアップして
縄張り(お城の施設配置)のすばらしさ・美しさについて
勝手に
語らせていただきたいと思います
ちなみに
7つのお城の地図をあげていますが、
すべて同じ縮尺です。
(地図上の1㌢は実際の約200㍍)

日本のお城 総濠の長さランキング
第1位
江戸城
総濠総延長 6000㍍
●江戸城 (1㌢=約200㍍)
[江戸城]
さすが
天下の江戸城、
文句なし、ダントツの大きさです。
江戸時代には
外郭ラインが20㌔近くあったらしいので、
これでも随分
小さくなっているのですね…
江戸城は
堀の幅を見ると、
均一なところと不均一なところがあります。
また
曲輪のかたちも
四角く人工的なところと
自然形状のままのところがあります。
それらがトータルでかもす
バランスの妙は
感涙ものです。
第2位
弘前城・彦根城・大阪城
総濠総延長 いずれも3000㍍
●弘前城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)
●弘前城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

城図鑑の
各城の縄張りを見てまして、
一番驚いたのが
弘前城(青森県)でした。
江戸城や大阪城はなんとなく大きいとは思っていましたが、
弘前城もまた
それらに
比肩できるほどの巨城だったのです
東北地方のお城が小さいと思っていたのは
とんでもない
誤りでした。
お堀が三重にわたって
完璧に残っているのは
このお城だけではないでしょうか。
素晴らしいを百回言っても
言い足りないほどです。
桜が有名なんですよね、、、、
このお城を
ゆっくり散策するのが
自分の夢です。
●彦根城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●彦根城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

彦根城(滋賀県)の縄張り(施設・曲輪の配置)は
自分が最も好きな縄張りです。
天守のある城山の
丸い自然なラインを、
直線で構成された堀が囲んでいるところが
たまりません。
曲線と直線の融合、
とんでもなく美しいです
むかしは
外郭ラインに
琵琶湖の水を引き込んでいたというのですから、
なんとも壮大なお城です。
●大阪城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●大阪城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

大阪城の縄張りの特徴は
なんといっても
堀の幅が極太なことです。
うどんで言えば
きしめん級ですね、、、
城地に占める
水面積(割合)は
間違いなく日本一だと思います。
(高岡城の方が、水面比率高いですね。
訂正いたします。…後日追記)
あまりに堀が太すぎて
曲輪が島のようにも
見えるんですよね。
他城と比較して
曲線が少なく
メリハリのきいた、
パンチのある縄張りで
多分に男性的です。
自分
大阪城 大好きで
夜中にわざわざ訪れて
城の敷地内を歩き回ったことがあります(笑)
[大阪城]
ランキング外
縄張りが個性的なお城
●五稜郭 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

縄張りの均整度では
間違いなく
日本一でしょう…
●二条城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)
江戸城と比べると
小さくて
なんとかわいいお城でしょう
とはいえ
二条城の周囲を一度ぐるっと歩いたことありますが、
けっこう時間かかりましたからね…
江戸城、
どれほど大きいねんって
はなしです
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いろいろあると思うのですが、
そのひとつは
やっぱり地形を作ってしまうところに
あると思います。
堀は川で、
石垣や土塁は山やがけ。
人工的に
自然物を作っちゃうので
規模も当然大きくなります。
ところが
明治時代以降は
そのでかさが
無用の長物となってしまい

観光資源となる
建物以外は
多くが取り壊されることとなりました。
堀なんかは
埋められて
道路や畑になり、
屋敷の並んでいた三ノ丸は
住宅地になったというような具合です。
時代の変化なので
残念ですが
仕方ないといえます。
でも
だからこそ
城好きの
自分なんかからしますと
今残っているお城の敷地が
当時(江戸時代)のままのサイズに
近いお城は
スゲェってことになります

例えば
世界遺産の姫路城の場合…
●姫路城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●姫路城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

今
城域を囲む
「総濠」が残っているのは、
ダイダイ色(赤色)のラインです。
ちなみに
江戸時代の
総濠ラインは
ムラサキ色(青色)のライン。
日本一美しいといわれる姫路城も
スケールダウンしちゃってるのがわかります

そこで…
唐突ながら…
総濠総延長距離の長いお城をピックアップして
縄張り(お城の施設配置)のすばらしさ・美しさについて
勝手に
語らせていただきたいと思います

ちなみに
7つのお城の地図をあげていますが、
すべて同じ縮尺です。
(地図上の1㌢は実際の約200㍍)

日本のお城 総濠の長さランキング
第1位

総濠総延長 6000㍍
●江戸城 (1㌢=約200㍍)

さすが
天下の江戸城、
文句なし、ダントツの大きさです。
江戸時代には
外郭ラインが20㌔近くあったらしいので、
これでも随分
小さくなっているのですね…
江戸城は
堀の幅を見ると、
均一なところと不均一なところがあります。
また
曲輪のかたちも
四角く人工的なところと
自然形状のままのところがあります。
それらがトータルでかもす
バランスの妙は
感涙ものです。
第2位

総濠総延長 いずれも3000㍍
●弘前城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●弘前城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

城図鑑の
各城の縄張りを見てまして、
一番驚いたのが
弘前城(青森県)でした。
江戸城や大阪城はなんとなく大きいとは思っていましたが、
弘前城もまた
それらに
比肩できるほどの巨城だったのです

東北地方のお城が小さいと思っていたのは
とんでもない
誤りでした。
お堀が三重にわたって
完璧に残っているのは
このお城だけではないでしょうか。
素晴らしいを百回言っても
言い足りないほどです。
桜が有名なんですよね、、、、
このお城を
ゆっくり散策するのが
自分の夢です。
●彦根城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●彦根城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

彦根城(滋賀県)の縄張り(施設・曲輪の配置)は
自分が最も好きな縄張りです。
天守のある城山の
丸い自然なラインを、
直線で構成された堀が囲んでいるところが
たまりません。
曲線と直線の融合、
とんでもなく美しいです

むかしは
外郭ラインに
琵琶湖の水を引き込んでいたというのですから、
なんとも壮大なお城です。
●大阪城 施設記載あり (1㌢=約200㍍)

●大阪城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

大阪城の縄張りの特徴は
なんといっても
堀の幅が極太なことです。
うどんで言えば
きしめん級ですね、、、
城地に占める
水面積(割合)は
間違いなく日本一だと思います。
(高岡城の方が、水面比率高いですね。
訂正いたします。…後日追記)
あまりに堀が太すぎて
曲輪が島のようにも
見えるんですよね。
他城と比較して
曲線が少なく
メリハリのきいた、
パンチのある縄張りで
多分に男性的です。
自分
大阪城 大好きで
夜中にわざわざ訪れて
城の敷地内を歩き回ったことがあります(笑)

ランキング外
縄張りが個性的なお城
●五稜郭 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

縄張りの均整度では
間違いなく
日本一でしょう…
●二条城 施設記載なし (1㌢=約200㍍)

江戸城と比べると
小さくて
なんとかわいいお城でしょう

とはいえ
二条城の周囲を一度ぐるっと歩いたことありますが、
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お城
2014.07.29 (火)
名古屋城のニュースが新聞にでていました。

名古屋城が大きな岐路に
あるようです。
計画通り
現行の鉄筋コンクリート作りの天守に
耐震改修をほどこすのか?
あるいは
現行天守をつぶして
木造天守を新たに建て直すのか?
自分は
城好きなもんで
木造再建を
強く支持しております。
理由を挙げますと…
コンクリート天守は
時間が経過すると価値が減じていくが、
木造再建の天守は
時間が経つとともに
文化的芸術的価値が増していく。
江戸時代の高層木造建築技法を
後世に伝えることができる。
天守台石垣への
負担が少ない。
コンクリート天守よりも
木造天守のほうが
見栄えがいい。
…などとなります。

とはいえ
ハードルは低くありません。
総工費に342億円もの巨費がかかること、
一般的家屋200軒分もの膨大なヒノキ材を要すること、
そして
なんといっても致命的なのが
名古屋市の行ったアンケート調査で
木造再建支持が15%しかいないという点です。
木造再建支持15%…
木造天守にこだわるなんて
城好き木造好きに限られますからね、、、、
正直15%でも
多いほうだろうとも思います。
「天守があれば
コンクリートでも木造でも
どちらでもいい。
どちらかを選ぶなら高価ではないほう」
というのが大方の意見なのかもしれません。
9月には
名古屋市公館で
『名古屋城天守閣フォーラム~木造復元について考える~』
というシンポジウムが開かれるようです。
名古屋城web
(行きたいけど難しいな
)
この選択
どう決着するのでしょうか…
全国の城ファンは
固唾を飲んで
議論の行方を見守っています(たぶん)
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耐震改修か市長主張の木造復元か…揺れる天守閣 [Livedoor news 讀賣新聞ニュース]
空襲で焼失し鉄筋コンクリート造りで復元された名古屋城の天守閣について、名古屋市が耐震改修で維持するか木造再建に踏み切るかの判断を迫られている。
これまで耐震改修を念頭に準備を進めてきたものの、河村たかし市長が木造再建に強い意欲を見せ、早期に結論を出すよう求めているためだ。ただ、再建には費用面などの課題も多く、市は判断するための調査を秋にも始める方針だ。
「天守閣はぜひ木造で復元したい。本丸御殿には実物の障壁画を展示したい」。河村市長は今月8日、文化庁の青柳正規長官と同庁内で会談し、名古屋城天守閣の木造再建への思いを語った。青柳長官は同庁と市の担当者同士で引き続き協議する考えを示したという。
名古屋城が大きな岐路に
あるようです。
計画通り
現行の鉄筋コンクリート作りの天守に
耐震改修をほどこすのか?
あるいは
現行天守をつぶして
木造天守を新たに建て直すのか?
自分は
城好きなもんで
木造再建を
強く支持しております。
理由を挙げますと…
コンクリート天守は
時間が経過すると価値が減じていくが、
木造再建の天守は
時間が経つとともに
文化的芸術的価値が増していく。
江戸時代の高層木造建築技法を
後世に伝えることができる。
天守台石垣への
負担が少ない。
コンクリート天守よりも
木造天守のほうが
見栄えがいい。
…などとなります。

とはいえ
ハードルは低くありません。
総工費に342億円もの巨費がかかること、
一般的家屋200軒分もの膨大なヒノキ材を要すること、
そして
なんといっても致命的なのが
名古屋市の行ったアンケート調査で
木造再建支持が15%しかいないという点です。
木造再建支持15%…
木造天守にこだわるなんて
城好き木造好きに限られますからね、、、、
正直15%でも
多いほうだろうとも思います。
「天守があれば
コンクリートでも木造でも
どちらでもいい。
どちらかを選ぶなら高価ではないほう」
というのが大方の意見なのかもしれません。
9月には
名古屋市公館で
『名古屋城天守閣フォーラム~木造復元について考える~』
というシンポジウムが開かれるようです。
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この選択
どう決着するのでしょうか…
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